Part -I
1999年に放送された前作「エコエコアザラク」は、当初1クールの予定で立ち上がり、最初の12話分のみ、私が全体構成を担当していた。 「エコエコアザラク -眼-」は、それ以来の作品となる。
だが、実はその間にもう一度、エコエコに取り組もうとしていた時があった。
映画の第四作目を、私が脚本を書く事になり、実際に作業をしていたのだが、心身の不調時期にあり、時間がかなりかけてしまったこちらにも否はあるのだが、当時のプロデュース側の不誠実な態度に不満もあり、結局私はこの作品を仕上げる事が出来なかった。
以来、エコエコには私の自己内に不燃焼感をずっと抱いてきたのも事実だが、私の中で最も心残りな感覚があったのは、原作者である古賀新一氏への不義理をした思いだった。
古賀氏は、前シリーズの二話で私が書いた「顔」というエピソードを非常に気に入っておられ、当時連載していた新エコエコアザラクというマンガで、「顔」のコミカライズをされる程だった。尤も、「顔」は原作にあるエピソードから私が脚色したストーリーであり、非常に屈折した経緯のコミカライズとなっているのだが(当時掲載された雑誌には、“原脚本:小坂千昭”と誤記クレジットされている)。
前のシリーズの構成をする時、私はそれまでに公開されていた二本の佐藤嗣麻子監督による映画版のイメージをキープしつつ、原作に少し引き戻そうという試みをした。それが「顔」の脚色であり、怖い少女であるミサ像は、映像版「エコエコ」では初めての表出となった。第一回目では、呪文の言い方が似合わず落胆させてくれた佐伯日菜子が、早くも二話目である「顔」で、独自のミサ像を創りだしつつある事に、私自身も驚いたのを覚えている。
古賀新一氏と最初にお会いしたのが、その後の映画版の時であり、古賀氏は私に全幅の信頼をすると仰ってくれいてた。それであるのに、その期待に応えられなかった自責がずっとあったのだった。
新たに、AVEXというパートナーを得て再開されるという「エコエコアザラク」に参加を請われ、やっと義理を果たせる時が来た、と思った。
私のところに話が来たのが2003年晩夏。撮影開始までそう時間が無かった。脚本は、私と村井さだゆき氏が最初に呼ばれ、それならもう一人は岡野ゆうき氏を呼ぶべきだと私は考えた。この三人は、前シリーズのメンバーでもあったが、やはり円谷映像のTVシリーズ「ねらわれた学園」のチームだった。この頃のメンバーで、新しいエコエコを創ろうとしていた。
サブタイトルは既に決定していた。「眼」だという。発案者は円谷映像代表であり、変にカタカナのサブタイトルをつけるよりもいいだろうという事で決まったという。
確かに斬新ではあったが、このタイトルで物語を創る事は困難極まるものでもある。魔術ホラーという、非常に限定的なジャンル作品である上に、「眼」という事を軸にする事が条件となる。だが、こういった枷には、私は寧ろ挑戦的な気分で己を奮い立たせる性向があり、苦しみながらも、その作業は愉しんでもいたと思う。
「眼」に如何な意味を持たせるのかは、各話毎に想定すれば良い。だが、シリーズ全体を通しての意味づけも必要である。
視線によって災厄をもたらす「邪視」「邪眼」という概念は、今の日常ではあまり馴染みが無いかもしれないが、西欧ばかりではなく日本でも古来よりあるものだ。他者を呪うという情念こそが、今回のシリーズを貫く「視点」にしようと考えた。
また、かねてより愛読しているバタイユの「眼球譚」への連想も断ち切る事が出来なかった。こうして朧に生まれつつある物語を背景に、取り敢えず一話目の脚本を書いてみようという事になった。
これまでのミサとは異なるイメージの存在にしよう、というのがプロデューサー、そして我々ライターの共通したコンセプトであり、当初は中学生くらいの幼いイメージにしようという案があった。候補者達との面接を経て決定されたミサ役は、上野なつひが射止めた。
実際の年齢より、やや大人びて見えた。非常に明るい性格らしく、初対面の我々に屈託のない笑みを見せていた。
この第一印象が、「エコエコアザラク -眼-」の全体を貫くストーリーになったと今は言える。
つづく
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