An Aditator's Chronicle
小中千昭(共同シリーズ構成)

※このテキストは、2007年に発売となったDVDメモリアルボックスのライナー用に書き下ろしたもの。
 インタヴューなどでガイアについて喋った事はあっても、自分で文を書いたのはこれが初めてだった。


「ウルトラマンティガ」以前、ウルトラマンをテレビで復活させようという動きは幾度かもあった。80年代、私は弟の小中和哉と共に、新ウルトラマンの企画に参加し、私達兄弟が子どもの時から抱いてきた「もしウルトラマンを今作るなら」という、怪獣少年なら心踊らさずにはおれない、しかし極めて困難な問題についての解決策を模索した(この具体的な内容は、別冊宝島『怪獣学・入門』に掲載されているが絶版)。“ファースト・コンタクト”をモチーフとしたドラフトのプロットまで書いたところで、結局その番組は他の企画同様に流れ、一方でオーストラリアとの合作「ウルトラマングレート」が立ち上がり、會川昇氏がシリーズ構成となって私も脚本を提供したのだった。
 やはり日本で理想的なウルトラマンを新たに創る事など無理なのだ、という諦めに似た気分でいた頃に、満田かずほプロデューサーから招かれて「ティガ」に参加する事になった。既に基本設定は作られており、それは新しいウルトラ世界観になってはいたが、しかし“新しい面白さ”や“センス・オブ・ワンダー”を感じさせるものではなく、私はシリーズ全体がどういうものになっても、自分の担当する脚本だけは、私の持つ「今作るなら」という理念に沿っていれば良い、と思っていた。
 その後、村石宏寶監督と出会って間もなくの激しい激論に始まる、「ティガ」の脚本執筆者としての紆余曲折は省略するが、最初の消極的なスタンスとは裏腹に、シリーズが終わってみると、「今作るなら」を“ほぼ”実現出来ていた事に驚いたものだった。深い満足感もあったけれど、それにしても「ティガ」に携わった一年がもたらした疲労感は多大で、もうこれでウルトラシリーズを手がける事はないと考えていたのだった。
 後続の「ダイナ」が折り返そうという頃だったか、笈田雅人プロデューサーから、三作目のまとめ役になって欲しいと請われた。即答せず、しかし結局引き受ける事にしたのだが、それは、「今作るなら」を基本設定からやれると考えたからに他ならない。
 私が参画する前に、対立する二人のウルトラマンや、スペシャリスト別のチーム構成などのドラフト案が出来ていた。主人公は「80」に倣ってか教師という設定だったと記憶している。私は、そのドラフト設定を自分の理念に沿わせる為に改変しても良い事を条件に、構成作業を始めたのだった。
 思えば、私と入れ替わる様に「ダイナ」のリーディング・ディレクターを担った和哉が、長谷川圭一氏、笈田プロデューサーらと作り上げたシリーズ物語の導入部は、最初に我々が考えた「今作るなら」のドラフト・プロットに似ていた。和哉もまた、自分なりに「今作るなら」を実践したのだろう。
「今作るなら」は、端的に言ってしまえばよりSFにする為のものだった。ウルトラマンシリーズは、ヒーロー物の中でも特異な、独自のジャンルを築いていた。それは日本で産み出されたフィクション・ヒーローでも随一のオリジナリティを持つものではあるが、それに付帯して、「ウルトラマンはこういうもの」という、その基本設定や基本構造についての割り切り(思考停止)というものが、作り手のみならず視聴者側にも生成されている様に感じていた。それは最早SFではない。勿論、30分の読み切り型ドラマシリーズで、終盤にはウルトラマンと怪獣が戦うというフォーマットがある以上、よりSFにすると言っても限界はある。「ティガ」にて、現場スタッフとの意志の疎通に悩みながら、理念をドラマとして成立させていく事を身をもって獲得出来た私にとっては、SF性のみならず、いかにウルトラマンの物語を進化させる事が出来るかという、実験の場としての捉え方もしていたかもしれない。
 ウルトラマンの出自、特捜チームのリアリティ、主人公像など、シリーズを観た人なら私が狙った事が判る筈である。導入の物語を作るのと平行して作り上げていった、基本設定・構造は、それまでの二作とは全く異なるもので、撮影現場でも混乱の基となるだろう事も予想したが、村石宏寶監督がメイン・ディレクターとなって映像へ結実させてくれた。村石監督は「それは無理だよ」とは滅多に言わない希有な演出家で、ウルトラ脚本家としての私は村石監督無くしては有り得なかった事は断じられる。
 ウルトラに限る事ではなく、所謂“シリーズ構成”という存在について、私はずっと以前より懐疑的だった。勿論、様々な監督・脚本家が関わるシリーズに於いて、交通整理をする立場が必要なのは当然であるが、それは日本のテレビドラマに於いては、プロデューサーが務めていたのである(初期ウルトラシリーズでは、円谷プロ文芸部所属の金城哲夫氏と上原正三氏がその役割を果たしていたのは周知の事であるが)。
 私がネガティヴに考えていたのは、紙一枚程度のプロットをシリーズ構成役が各脚本家に配り、それに基づいた脚本を書かせるという方式である。殊にSFシリーズの場合、プロットこそがその脚本のコアであり、そのアイデアを産み出す為に脚本家は魂を注ぐべきだ。その考えは今も変わらない。これまでアニメーションなどで幾度かシリーズ構成という立場を(嫌々ながら)務めてきたが、私は絶対にラフ・プロットを渡す事などせず、話数の前後の繋がりも含めて、担当する脚本家に考えて貰う事にしている。これは脚本家にとっては大きな負担にもなるが、誰でもなく私自身が、そういうスタイルで各話を書きたいと思う形なのである。この為、参加する脚本家は自分の話数以外の時でも会議に参加し、どういう物語が積まれていくのか熟知する必要がある。
「ガイア」で特に最初の1クールは、必ずSF的なアイデアを導入する事を参加した脚本家達に求めた。このシリーズは群像劇でもあり、単純に考えてそれまでの二作の4〜5倍のキャラクターを描いていく。その間に設定を視聴者に判らせていく必要もあり、極めて難易度の高い仕事だったのは間違いない。週一回行っていた脚本会議では、私はある意味で暴君だったかもしれない。会議後、成城や祖師谷で脚本家達は呑んでいた様だが、私はそこに居らず、孤立していた。ウルトラの物語を進化させるべく私が執った方法は、ペラ一枚で全体の物語を支配する事ではなく、大枠だけを設け、その中で参加する脚本家達によって激しく価値観すらも移ろっていく様な、動的な物語を作る事だった。これは当然、非常にリスクの大きいやり方でもある。自分が予想もしていない様なエピソードを面白がれる代わりに、設定までも変える必要も生じ、その調整は常に計算していかねばならない。最初は戸惑っていた脚本家達も、最初の一話分を完成させていくと、皆それぞれ独自の、自分が書くべきものを見つけ、テンションの高い脚本が上がっていった。如何にその調整に苦労しても、その成果は完成された作品を見れば明らかだった。脚本家としては大先輩である武上純希氏が、最もホットな量子論をベースに脚本を上梓されていくのには瞠目したものだった。右田昌万氏、太田愛氏や川上英幸氏らによって多彩な登場人物に人間としての人格が与えられていき、物語が大きく揺れながら動き出したのを確認出来たとき、私は自分のやり方が間違っていなかったと思えたのだった。
 村石監督によって撮られた一、二話。既に二人のウルトラマンの活躍を見せてきた後で、全く新しいウルトラマン像をインパクトを以て提示するという難事が見事に成された事について、異論は無い筈だ。若々しい大学生の主人公・我夢の描き方も新鮮だった。
 シリーズ構成役を、企画部(当時)の江藤直行氏と共に就いた事から、キャスティング・オーディションにも参加し意見を述べる事が出来た。極めて多くの応募者が居た中で、我夢は吉岡毅志君、藤宮役は高野八誠君以外にはいなかった。オーディションで印象深かったのは、演技というよりも、我々とのやりとりで実に爽やかなキャラクターを見せてくれた石田裕加里さんだ。オーディションは基本的に、XIGの隊員までを選ぶものだったが、彼女は作品に必要だと思い、私は村石監督に、未だどういう役割で物語に絡むか私にも判らない、作品内の一般人代表であるTVリポーター、玲子役に強く推薦したのだった。玲子は藤宮と深く関わっていく事になるのだが、高野君と裕加里さんがその後、実生活で結婚されたと聞いて、ファンの方と同じく私も幸福を感じたものである。
 玲子の相手役となる、ディレクターの田端役は、円谷浩さんが演じられていた。
 私が浩さんと会話したのは、一度きりだった。「ガイア」のマスコミ発表会の楽屋でである。浩さんは吉岡君に、ワイヤーで吊られる芝居の極意をヒーロー役者の先輩として教えたりしていた。そこで私がシリーズ構成だと浩さんは知ると、もの凄く言い辛そうに、本当に言い難そうに、顔を真っ赤にされて、ある事を訴えた。
「ウルトラマンは子どもが観るものなんだ。難し過ぎるよ、このホン」 
 正確な言葉は忘れたが、要旨はこういう事だった。私は、「大丈夫です。判る様にやりますから」などと、答えにならない答えをした様だ。
 この事はずっと私の心に残っていた。脚本家チームは、それまで以上にセンス・オブ・ワンダーを盛り込むべく、最新の科学情報をも駆使してSFドラマを書き上げている。確かに幼児には理解が困難な部分はあっただろう。しかし、私が子どもの時に見ていた「ウルトラ
」だって、その時の私には知り得ぬSF概念を駆使していた。ドラマのテンションが高ければ、状況が多少複雑でも子どもは観てくれる筈だという信念が私にはあった。最終的な線引きは、毎日放送のプロデューサー、丸谷嘉彦さん(つい先日、無事に職を卒業された)が判断をされた。丸谷さんは実は「宇宙塵」(日本最古のSFファンジン)の同人になろうかと思われた程のSFファンで、「ティガ」以前にもアニメの「宇宙漂流バイファム」などのSFシリーズを手がけられてきていた。「あんまり難しくせんといて」と小言の様に毎回、私は叱られつつ、ウルトラの物語を進化させる最低限の領域を死守しようとしていた。しかしいつも、心の奥で浩さんの訴えを反芻していた。くれぐれも自己満足の為に、子どもをないがしろにした作品にはすまいと自戒していたのだった。
 私の構成役は、2クール目で一段落する。3クール目は全体会議をせず、ヴァラエティ篇として笈田プロデューサーが仕切る事になっていたからだ。構成作業と並行して、私自身の脚本も書いていたが、どうしてもイベント的な要素の回ばかりを担当せざるを得ず、手放しに良いものを書いたという自負を持つことが出来ない。チーム・クロウをフィーチュアした「ロック・ファイト」は、ロック楽曲を重要な要素とするものとして書いたが、この為に作られた曲は私がイメージし、打合せでもそう説明したもの(当時で言うL.A.ハード)とはかけ離れた、軟派なポップスになっていて激しく落胆したりもした。
 アグルが、2クールで退場し、そのパワーをガイアが継いでヴァージョン・アップする、という展開は、玩具展開とも相まって規定のものとされていた。私は「決着の日」までの流れを誘導しながら、完成された映像に於ける藤宮の存在感を見て、2クールで消し去るにはあまりに惜しいと思い、笈田プロデューサーに再登場を強くリクエストしたのだった。
 3クール目はヴァラエティ篇としながらも、玲子の物語は続けねばならない。だが、浩さんはその時既に体調をかなり悪くされており、もう出演はさせられないと宣告されていた。藤宮と決定的な運命を共有するであろう玲子を追うのに、そのパートナーである田端(とキャメラマンのリンブン)が側にいないのは、物語としての結構を欠く。私は折りに触れ、田端を再登場させられないかと、可能性を笈田氏に打診していた。
 最終話近くなり、田端の再登場に許可が下りた。「天使降臨」は、円谷プロ製作部社員で、「ティガ」ではぺーぺーの助監督だった八木毅氏が、村石監督の後見によって初監督を務めるという記念すべき回だった。序盤からアグルを主に描く役割を担い、クリシスの設定や稲森京子というキャラクターを創出した吉田伸氏の、鬼気迫る脚本を八木監督は見事に映像化してみせた。このエピソードで、群がる蟲に非力な消火器で立ち向かう田端を、浩さんは活き活きと演じた。実は私の想定での田端は、もっとクールな、醒めた業界人というキャラクターだった。シリーズ序盤当初の田端の演技を見て私は、「もうちょっと力抜いて演じてくれないかな」と思ったりもしたのだが、最早田端は、浩さんによって肉付けされ、そう受容されたキャラクターとなっていた。私の方がプランニングを変え、熱血性の人物だと認識を改めた。そうでなくては、「天使降臨」の田端の奮戦は無かったし、それを導いたのは、一時期の演技復帰を(今にして思えば奇跡的に)可能とした浩さんの精神だったのだと思っている。
 視聴者の子どもを劇中に出演させるイベント回「ガイアに会いたい!」も、ややこしい要素を持つ為私が脚本を担当しつつ、特捜チームが持つ武装の出自(本来は人間同士の戦争の為に開発された兵器)について、私自身の中で持つ批判的な要素(勿論肯定する考えも併せ持ってはいるが)を、剥きだしでドラマに組み込み、その問いかけは最終話まで引っ張った。
 世界観の違うティガ、ダイナと、ガイアが共演するという無茶な映画を和哉が撮らねばならなくなった時、兄弟だけで相談をした。メタ構造にすればいいのではないかと私が示唆をして、世界観の問題はあっさりと解決させ、長谷川圭一氏が書いた脚本を基に、シリーズからは欠落してた、ジュヴナイルとしてのウルトラマンガイアというものがスクリーンに誕生した。そのままシリーズと映画がパラレルな関係で終わるのもつまらないと思い、シリーズ終盤近くで映画と更なるリンクをさせた「我夢vs我夢」を書いたのだった。
 この回にも登場する、アルケミー・スターズの一人であるキャスは、我夢を挟んでアッコのライバル的位置にいた。
 ラヴ・ストーリーとしてのウルトラ、というと、「ウルトラセブン」のダンとアンヌの悲恋が第一にあった私が、「ティガ」で執拗にダイゴとレナの関係性を序盤から書いていたのも当然ではあった。幸いにして、その決着までも書くことが出来た私は、「ガイア」での恋愛要素は最初から重視させない方針だった。しかし、やはりドラマが動的に進むと当初の思惑とは違ってくる。梶尾リーダーとの関係が、実姉を挟んで破綻するなど、アッコは苦難の道を歩む女の子となっていた。我夢に対して、シリアスな恋愛感情までは行かないだろうものの、キャスという存在が現れる事によって、無意識下の感情が露わとなってもおかしくない。「天使降臨」の、我夢とアッコの場面は、実に心に迫るものになった。
 キャスは、実は第三の、それも女性のウルトラマンを登場させたいと思って、物語に織り込んでいたキャラクターだった。日本以外からもウルトラマンが登場するべきだという、「今作るなら」思想に基づくプランだったが、予算面から見送られてしまい、今でも残念に思っている。尤も、それが可能だった場合の最終話の物語など、到底今では想像すら出来ないが。
「地球の叫び」が、一番好きかもしれない。脚本家としてではなく、怪獣が好きで好きでたまらなく、怪獣が登場するドラマを書きたいと思って育った、私にとって。
 シリーズのメインの敵となる抽象的概念「根元的破滅招来体」と、地球出自の所謂怪獣、シリーズ開始当初は殆ど区別せずに登場させ、どちらもウルトラマンが倒していく。しかし、最終的には地球怪獣までも、侵略怪獣と戦う為に立ち上がるという展開を、多分私は序盤から固めていた。他の脚本家達やプロデューサーには、小出しに「こうしたいんだけど……」と、刷り込んでいった。「ガイア」でシリーズは一旦終わる事は決まっていた。ティガでもそうであったが、シリーズ終盤は予算の締め付けも厳しくなり、脚本の自由度は減ってしまう。ただでさえ大事をやる必要があるのに、地球怪獣が大挙して再登場など、普通には即座に「ノー」と断じられてしまう。出番が終わった怪獣の着ぐるみは、イベントなどに駆り出されて東宝ビルトからいなくなってしまう為、それを留める段取りも必要だった。この辺りの駆け引きも、「ティガ」で否応なく学ばされていた私は、極めて老獪に事を進め、“平成『怪獣総進撃』”を実現する事が出来たのだった。勿論これは、円谷プロ社員にしては怪獣愛が過ぎるだろうと思わざるを得なかった、笈田雅人プロデューサーが後押ししてくれた御陰である。
 地球怪獣の悲劇については、「宇宙船」誌の編集出身である古怒田健志氏が、私以上の怪獣愛で書き積み上げてくれていた。鉛色の空に向かって咆吼する地球怪獣達の健気な姿を思い出すと、今でも目が潤んでしまう。
 村石宏實監督は、佐川和夫特技監督と、自身が撮ったフィルムから計算して、とても最終話が30分に収まらないと判断し、脚本と違えて、かなりの部分を前倒しに編集した。
「プロノーン・カラモス!」という、ちょっと唐突に再浮上する名称を叫ぶショットで終わる完成作品は、オンエアを観ていた私自身、背筋にぞくっとする体験をさせてくれた。
 ラスト、池袋の広場で我夢が天を仰いで叫ぶ「おーい!」というのも、村石宏實監督の演出による創案だったし、ラストの視聴者の子どもに向けたストレートなメッセージは、元々は脚本の「あとがき」の様に書き加えていたものだったのだが、画面に出そうと言ってくれたのも村石監督だった。
 そのメッセージ、そして携わったキャスト、スタッフ全員のロールが流れて、ガイアのシリーズは終わった。その後、八木毅監督と共に、エピローグ的なオリジナルビデオ「ガイアよ再び」を作るのだが、やはりガイアの物語自体はシリーズで完結したと思っている。
 破滅招来体とは一体何であったのか、もう来ないのか、その答は、視聴者の中に解決しない問題として、澱の様に残り続けて欲しいと願っている。「ウルトラマンガイア」は、ウルトラマン・シリーズの一本で、今から10年前に完結したひとつのフィクション――、ではあるけれど、不条理なる不幸、破滅的な事に直面した時、その運命を甘受するのか、抗うのかという決断を人は人生で必ずやしなくてはならない。その時、「ギリギリまで」諦めなかったガイアの登場人物達の、不器用ではあったかもしれないが、強い意志の力というものを顧みてくれたなら、シリーズ構成とは名ばかりで、他のクリエイター達の煽り役に徹した私の一年間(とちょっと)の期間も酬われると思っているのである。
 そして――、あれから10年という歳月が流れた今、当時子どもだった視聴者に問うてみたいという気持ちが大きい。どうでしたか? 難し過ぎてつまらないなんて事は無かったですか? ヴァージョン・アップ・ファイトに熱狂してくれましたか? 面白かったですか?
 もし、もし答が「イエス」なら――、
 「イエス」と答えてくれる人が、「ノー」よりも多かったのなら――、
 あの直後、天に召されてしまった浩さんに対して、私は顔向けが出来るのだけれど――。

 2007/07/18