映画『稀人』について
 2003年の春、高円寺の商店街でばったりと高橋洋氏と再会した。
 かつてはよく、ファンダメンタルなホラー映画について書簡を交わしたりしていたが、ここ数年は互いの多忙もあって、久々の再会だった。
 その時丁度、ユーロスペースの“映画番長”企画がスタートしており、高橋氏は“ホラー番長”4作品の監修、企画選定を任されていた。
 高橋氏は既に、自身の長編初監督作品を撮る事を決めていたところから、私にも「小中さん、自主映画撮らない?」という誘いが向けられたのだった。
 映画番長は、高橋氏が講師を務める映画美学校を擁するユーロスペースの企画であり、美学校出身の若手監督らにも門戸を開いて企画を募り、全て同予算、民生用DVキャメラでの撮影、デジタルでの仕上げというフレームが設けられている。
 自分で監督するという事にあまり関心が無かった私は、若手監督と組みたいと高橋氏に希望した。
 そこで二人が思いついたのが、清水崇監督だった。

 清水崇君は、映画美学校一期生であり、『呪怨』シリーズで一気に才能を開花させ、既にホラー映画業界では押しも押されぬ存在になっていた。
 その清水君の、テレビ初監督作品は1998年に私が総合構成を担当した『学校の怪談G』という二時間枠の中の、僅か3分程の短編二作品だった。
 このテレビ番組を構成している時に、誰か若手で面白いのを撮る監督はいないか、と高橋氏、それにやはり美学校での清水君の師でもある黒沢清監督に訊ねると、「とんでもないのがいる」と紹介されたのが清水君だった。
 
 そんな因縁もあったところから、自然と私、高橋氏、そして清水君というトライアングルが出来、企画を考え始めたのがこの映画の始まりである。


『学校の怪談G』で清水君が撮った二作品は、そのままビデオ版『呪怨』に、一要素として復元されている。
『呪怨』の成功は、最初から一つの長編を作るのではなく、自分が現場をコントロールし易い、短編、掌編的な断片を並べ、ラストで筋を通すという構成の巧みさにあった。
 これならば、助監督としてはキャリアがあっても、自分自身で商業長編作品を撮った事のない清水監督にとって、自己の力を100パーセント発揮出来る。
 そして、この構造ならば幾らでもエピソードをオーヴァーラップさせながら増殖出来る。
 それが、ビデオ版『呪怨2』、映画『呪怨』『呪怨2』、さらにはハリウッドで現在ポスト・プロダクションの最中である、『The Grudge』という連鎖になっている。

 しかし、映画版『呪怨2』は、一人のヒロインを軸にした長編という趣が色濃く出ていた。
 私、そしてビデオ版『呪怨』では監修役を務めた高橋氏と共通する思いは、ここら辺りで清水崇は、じっくり長編を撮っておかないと伸びないのではないか、という事だった。

 ホラー番長監修の高橋氏から託された条件は、言わばそれだけだった。
 低予算で出来るなら、何をやってもいい。
 職業脚本家をしている者にとって、こういう機会はなかなか巡ってくるものではない。

 清水君が最初に提案をしてきたのは、一人の家族を失った男が主人公で、一軒の家だけで終始する構造のものだった。そうはっきりしたストーリーはなく、漠然としたアイデアだった。
 私が今回、自分で提案をしたのは、「きちんと怖いものにしよう」というものだった。その上で、“幽霊”“廃墟・廃屋”を禁じ手にしようと提案した。
『ホラー映画の魅力』にて書いているが、『邪願霊』以来、本気でホラー映画で怖がらせようとした場合、その怖がる対象は心霊現象ばかりを描き、その事に自己閉塞感を抱いていたからだった。
 また清水監督も、『呪怨』とは異なるものをやりたいという意欲があり、同意してくれた。
 幽霊を禁じ手にする事は、高橋氏から「それは荊の道だね」とも言われたのだが、その分期待もしてくれていた。


 早い段階で、『稀人』の基本骨子は思いついた。
 異界で少女と出会い、その少女を飼いならす男の話だ。
 DVでの撮影ということで、映像の殆どを主人公自身が撮るという全体の形式も早い段階で決めた。
 かつて、擬似ドキュメンタリのスタイルを私はよく採る事があったが、それは虚構の物語にリアリティという粉飾をする意図があった(それと、何より低予算対策という至上の命題を解決する為でもあったが)。
 今回は、殊更に擬似ドキュメンタリという事ではなく、ビデオキャメラが持つパーソナルな空気感というものを、ドラマに導入したいという意図だった。
 そこで、主人公を職業ビデオキャメラマンにしようという事も既に決めていた。

 そこまでを考えた辺りで、清水監督が突如、ハリウッド資本製作による、『呪怨』のリメイクを自ら監督するという事が急に決まった。
 スケジュールからすると、映画番長を撮る様な空きは全く無い。
 しかし、清水監督自身の熱意によって、ハリウッド版『呪怨』の日本での撮影直後、編集作業が始まるまでの一週間ほどの間で撮影をするという離れ業を演じる事となった。
 脚本執筆は、急に慌しく取り掛からねばならなかった。

 主人公の増岡拓喜司という名前は、『ドラッグレス』『インスマスを覆う影』などでも使ったものだが、それらの作品と特に強い関係を求めた訳ではない。
 私の想定としては、諏訪太朗氏の様な渋めの役者を考えていたが、高橋洋氏は脚本を読んで、森達也氏をキャスティングする事を半ば本気で提言していた。
 森氏の『A』を初めとするドキュメンタリ作品は殆ど観ていたし、ドキュメンタリ作家としての本も読んでいた。森氏が学生時代に、黒沢清監督の自主映画に出演していた映画は観た記憶があった気もするが、それはさておき、増岡には多少なりとも、森氏に触発された部分はあったと思う。

 書き出す前に、この物語が、かつて私が『異形コレクション』の為に書いた『部屋で飼っている女』に近い構成である事に気づいていた。
 元々、カスパール・ハウザーの様な存在の少女が、異界から現れ、それを護る男の話──というのは、ずっと私の中で描きたいと思っていた物語だった。『部屋で飼っている女』や、『ウルトラQ dark fantasy』の7話『綺亜羅』などは、その物語から派生した“アナザー・ストーリー”であり、一度きちんと長編で描きたいと長年考えていたのだった。
 この物語の原型は、1995年に東宝から請われて草案した『モスラ』リメイク版のプロットだった。このプロットは最終選考まで残って、落とされてしまったのだが、書いて以来、この物語はまるで生物の様な存在となって私にまとわり続け、世に羽ばたかせる事を抑圧してきた。
 『稀人』は、自由に発想していい、という事で取り組んだ筈だったが、どうやら私は他に選択肢を全く持つ権利が無かったのだと判ったのは、書き終える事が出来た後の事だった。

 書き上がった初稿を一番面白がってくれたのは、やはり高橋洋氏だった。
 私のライト・モチーフである“地下”“クトゥルー”“擬似ドキュメンタリ”といったもので埋め尽くされた脚本は、あたかも私の分身の様に見えた様だ。
 清水崇監督は、どう演出していいものか、捉えるのに苦労をしている様に見えた。
 クトゥルーといったモチーフは、清水監督にとって近しいものではなかった。
 ラヴクラフトとの関連性については、小説版ではかなりはっきり描写をしているが、映画ではさほど重要視していなかったし、あくまでスタッフ内での共通了解事項として脚本には書いていた。

 清水監督は、ハリウッド版『呪怨』の編集作業が始まる直前の慌しい中で、現場プロデューサーで、怪奇映画に造詣の深い尾西要一郎氏の助言を得ながら、自分自身でこの脚本を如何に自分のフィルムにするかを練っていった。
 尾西氏は、『稀人』に於ける描写の中で、『怪奇大作戦/吸血地獄』からの引用を看破していた。
 書いた時には意識していなかった描写だが、指摘され、紛れも無く『吸血地獄』の影響は私には強く残っている事を認識したのだった。あのエピソードは、決して大傑作だとは言えないが、日本という土壌で吸血鬼を描くという上で、一つの到達し得た頂点にあると思っている。

 塚本晋也氏という配役は、清水監督と尾西プロデューサーが相談しながら上がった案だった様だ。
 確かに『殺し屋1』など、他者監督作品に俳優として出演しているし、何より増岡というキャラクターには、その存在感は近しい。
 ただ、私が想定していたよりも若干若い感じにはなるが、それは大きな問題になるとはこの時思わなかった。
 Fは、映画番長の他作品にも出演していた宮下ともみさんが選ばれた。
 増岡とは逆に、私の想定していた年齢感より高いものの、儚げな少女性を持った、独特な存在感のある女優であり、私は清水監督の選択を全面的に支持した。

 撮影は、実質的にはほぼ一週間で行われた。
 予算から言えば、自主映画に近い体制であり、現場も少人数構成かと思っていたが、見学に行くと、スキルのあるプロフェッショナルなスタッフが大勢関わっており、かなりしっかりした体制の撮影が行われていた。
 私の脚本は、ビデオ撮影を前提としたもので、デジタル的とも言える様な、エピソード、思想のパッチワークの如きメタ的なものであったのだが、これは、低予算でも成立し得る保証として考えたものだった。しかし清水組の現場は、しっかりと地に足をつけた“映画”のものであり、キャメラの田辺司氏、照明の箕輪栄一氏によって組み立てられ、記録されていくビデオ・テープにも、映画的な映像が定着している様に思われた。
 ここで、私は正直に言えば、仕上がりが予想出来なくなった。しかし、不安以上に期待をしていた。

 
 編集、録音の作業が終わり、映画が完成したが、最初のスタッフ試写の時には、私が都合で行けず、ビデオで完成のコピーが送られてきた。しかし、どうしてもビデオで最初に観るのは抵抗があり、暫くの間、私は観ないでいた。
 ややして、ぴあフィルムフェスティバルで、清水崇監督の特集上映があり、ここで『稀人』がプレミア公開される事になった。
 清水監督は、ハリウッドを離れられないが、チケットの手配をしてくれ、私はここで初めて『稀人』完成版を観る事になった。
 直前に、電話で清水監督と話した時、彼は「自分としてはかなり納得がいくものになった」と私に言い放った。元々彼は、自分の過去の作品についても、あれこれと言い訳をしない性質ではあったが、そこまで自信を込めた言い方は聞いた事が無かったし、それを脚本家に対して言えるというなら、相当に手応えがあるのだろうと考えた。

 期待をしつつ、有楽町の映画館で上映される『稀人』を観始めた。
 DVという民生機の規格で撮影され、DLPで大画面に上映された画面は、やはりフィルムの質感とは異なり、乾いた映像だった。しかし、しっかりと照明と撮影によりコントロールされた画面は、確かに映画のものだった。
 そして、そこに登場する増岡とFは、私の内面から生まれたものでありながら、明らかに私にとって他者であるという実感があった。
 脚本の想定よりも若い増岡と、より女らしい歳のF。二人の関係は、私の脚本の意図以上に男と女という肉体の距離感を際立たせ、『稀人』という分裂した物語が、歪んだラヴ・ストーリーの様に見えていた。
 これは、清水監督の意図したところだったのだろう。
 演出に於いて、最初にして大きな要素であるキャスティングにて、先ずこの二人を選びだし、そして濃密な空気感を以って二人を見つめる視線で、『稀人』は撮られていた。
 脚本にある、詐話的な捻じ曲がり、虚実が入れ子になる判り難い構造を、こうした演出にする事で、観客には観易いものになっているとも感じた。
 また、抑制的な音楽、圧倒的な音響効果にも強い感銘を覚えた。
 この作品は、主要都市の限られた時間にのみ公開され、多くの人はビデオやDVDで観る事になるのだろうが、是非とも音響設備が整った劇場の暗闇で、集中して観て欲しい、と強く願っている。

 こうして、『稀人』は私の妄想的強迫観念から生まれた物語であったものだったが、清水監督と、スタッフの方々の力によって、低予算というイクスキューズ無しに提示し得る、映画らしい映画になることが出来た。

 最初にこの企画に声を掛けてくれた高橋洋氏、清水崇監督、スタッフの方々、キャストの方々、ユーロスペースに深く感謝している。