ギルモン
私が三年目のデジモンに参加した当初、最初に想定されていた主役デジモンはギルモンとは違うタイプでした。
それはそれで個性的なキャラクターだったのですが、私は生まれたての状態から、主人公と共に『進化』していける様なデジモンが良いと主張。
その頃、私はよく「もっとプリミティヴな」という言い方をしていましたが、つまるところそれは、「より怪獣らしい」という事だった、と後になって思います。
そして次に「これでいきます」と断言付きで提示されたのが、今のギルモンでした。
勿論異論などあろう筈がありません。
強烈な力を秘めていながら、表情によってはあどけない可愛さを持っている様な、そんなギルモンは、まさに『怪獣』でした。
デジモンはデジモン。現代的な全く新しいオリジナルなモンスターです。
しかし、私にとっては、紛れもなく怪獣でした。
私は最初のウルトラシリーズ、そして数々の怪獣映画を映像原体験として育ち、今に至ります。
怪獣とは、単に大きな動物ではありません。現代に現れた恐竜などではない。
私が思う、そして本来的な怪獣は、不可思議な存在でした。
『ウルトラQ』の「カネゴンの繭」「育てよカメ」といった作品群は、特に私の中で強い印象を残しています。これらの作品に登場した怪獣達は、どこかしらデジモンに繋がっているという気がしていました。
私が企画初期に想い描いていた、主人公とそのパートナーとなるデジモンのドラマは、そのまま一話から三話にて形にする事が出来ました。
怪獣の子どもと少年が出会い、学校についてきて騒動になり……。
暫く後で気づいたのですが、このドラマは、私と、映画監督の弟・小中和哉がずっと以前から作りたいと思っていた、『ジュヴナイルとしての怪獣映画』の為に考えていたストーリーの導入部に極めて近いものでした。
この、映像化されないままでいた『怪獣映画』は、一度シナリオの形にする機会がありました。
大映が復活させようとしていた、『ガメラ』のリメイク作品です。小中兄弟版のガメラは、大映怪獣映画がそうであった様に、子どもと怪獣の関係にフォーカスしたものでしたが、一部の支持を得たものの、結局はキャンセルされ、後に金子修介監督と伊藤和典脚本によって大人向けの作品として製作されました。
小中兄弟で、ジュヴナイルとしての怪獣映画はいつか必ず作るつもりです。
ただ、全くそういう意図ではないのに、我々兄弟の考えていた素案を、テイマーズの導入に用いてしまったのでした。
当然ディテイル等は違いますし、そもそも最初から『怪獣』という捉え方はしていませんでした。ただ、考えていく内にそうなった。というよりも、デジモンを自分として愛そうとしていく中で、怪獣と重なったのだと思います。
そういう流れになったもう一つの理由が、ギルモンのサイズでした。
当初デザインを見た時、ギルモンも、アグモンくらいのサイズだろうと思っていました。ところが、人物対比で言うと、ギルモンは大人程に大きい。とても、子どもが部屋に隠せるサイズではない。
正直に言えば「これは困った」と、当初は思っていました。
しかし、この私自身の「困った」を、主人公自身の「困った」としてドラマに入れ込んでいけば、きっと面白いものになる筈だと思い直したのです。
ギルモンの声を、野沢雅子さんにお願いする、という関プロデューサーの意向を聞いた時、やっと私は、伝統のある東映動画(現在は東映アニメーションですが)の、メインストリーム作品に携わっているのだと実感したのを覚えています。
野沢さんに命を吹き込まれたギルモン。私にとってですが、一番大きな事は、ギルモンのイノセンスを、私が思っていた何倍も大きく膨らませて戴けた事です。
41話『帰還 リアル・ワールドへ』で、喋る筈の無いアークに、必死に「止まって! 止まってよ!」と叫ぶギルモンが、私にとっての一番のギルモンでした。
グラウモン、メガログラウモンと、進化する度に巨大になっていくギルモン。
究極体であるデュークモンのデザインも、シリーズ開始前には当然決まっており、オープニングにも一話から、シルエットながら登場しています。
タカトと、ギルモンの次々なる進化。どのケースも、決して素直に事は進みません。タカトは転んで、傷つき、そして立ち上がって涙を拭って、ギルモンの進化に携わる。
デュークモンへの進化が、テイマーズのシリーズの中でも、大きなポイントになろう事は当初から想定していました。
しかし、具体的にどうドラマにしていくかは、第一部のシリーズ構成作業をしながら、脚本家、演出家が積み上げていくシリーズのドラマを睨みつつ考えていました。
テイマーズの構成作業で、私が一度だけ、判断に迷う事があった事をここで告白しておかねばなりません。
テイマーズは、前シリーズとは全く別作品として作られています。しかし、初期構成案に書いてある通り、私は「デジモンアトベンチャー」ありきの世界観として想定していました。
タカトが、自分をテイマーだとギルモンに宣言をする場面で、自らゴーグル(アドベンチャー、02の主人公達のイコン)を頭につける場面は、まさにこの世界観を規定するマニフェストでした。
ただ、それは、「デジモン」という存在をよく知っている現実の子ども達に、フィクションとして提示する為に必要であったからで、不用意にアドベンチャーの世界、キャラクターに触れるのは、そのファンにとっても、今テイマーズを楽しんでいる子ども達にとってもいい事では無いと考えていました(シリーズ開始当初、アドベンチャーとのリンクを望む声が多かったのは聞いていますが、サービスとしてそれに応えるのは、作り手として不誠実だと考えています)。
けれど、デジモンが大好きで大好きで、そしてこの世界で一番ギルモンを愛しているタカトが、己の心の迷い、弱さでギルモンを恐ろしい進化に至らせてしまった後、望むべき進化に導く為には、余程の強い何かが必要でした。
タカトに強いインパクトを与える存在、それは、アドベンチャーの主人公、太一、そしてそのパートナーであるアグモンではないのか。
シリーズ中盤のラフ構成で、このアイデアを提示してみました。
プロデューサー、監督、他のスタッフの方々と、喧々諤々の論議になりました。
ただ、全員が思っていた事は、どれが最も「デジモンテイマーズ」として、良いドラマになるのかという目的意識で、これが一致していたのはとても嬉しかったし、図らずもそれを再確認出来たという効果もありました。
会議で結論を出すことはせず、私はそれを引き取って、自分で結論を出しました。
それが、実際に作られた35話『その名はデュークモン! 真なる究極進化』のストーリーでした。こういう形で成立し得る、と判断出来たのは、この回の演出を担当された、アドベンチャーのシリーズ・ディレクター角銅博之さんの助言があったからでもありました。
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