このページは、2006年1月にフジテレビで放送された「ノイタミナ」枠「怪-ayakashi-」にて全4話で放送された「四谷怪談」について、脚色をした小中千昭が私的に公開するものです。
作品の著作権は東映アニメーション、フジテレビにあります。

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田宮伊右衛門の様な、艶のある悪党を色悪と呼びます。「東海道四谷怪談」の序盤では、この伊右衛門が重ねる悪事を執拗に物語っていきます。伊右衛門の物語はピカレスク・ロマンだと言えるでしょう。当代の二枚目役者が、外道の如き振る舞いをするのを、中村座での初演につめかけた観客は、「何と酷い」「こんな奴は許せない」と義憤に駆られて観ていたでしょうか。
「もっとやれ」「もっと酷い事をして見せてくれ」と声援を贈ったに違いありません。
亡霊となったお岩が引き起こす凄惨な復讐に、観客は「もっと怖がらせてくれ」と応援したでしょう。やはり当代随一の女形が演じるヒロインなのです、お岩は。

勿論、現実の日常生活の中で、伊右衛門の様な悪人やお岩の様な亡霊が存在する事など、どの観客も望んだ筈はありません。あくまでもこれは歌舞伎芝居の物語。日常を忘れさせてくれる夢幻の世界でのお話。
江戸文化も爛熟を経て閉塞的な社会になっている時、日々の決まり事、覆る事の無い自己の身分、敗退していくモラル――、そうした日常を超越したネガティヴ・ヒーローのパワフルな立ち振る舞いこそが、四世鶴屋南北がその当時の観客に見せつけたかった事ではないかと、私は考えています。
また、初演では、『仮名手本忠臣蔵』と、ほぼ一幕毎交互に、丸二日かけて上演されたのですが、『東海道四谷怪談』では伊右衛門に、「仇討ちなんて古臭い」と言わせている通り、当時の観客にとっても忠義の物語は大虚構世界のお話だったのです。

原典に極力忠実に脚色をする事こそを第一義にしてきましたが、決して歌舞伎の舞台を再現するのではなく、テクストとしての南北が残した台本のみを原典としました。これは、例えば有名な戸板返しの場面も、元々の舞台ではお岩と小仏小平は同じ役者が演じており、その早変わりを面白がらせるが為の趣向であったのです。これを映像で再現してもあまり意味が無いと私は考えました(シナリオでは、お岩と小平がシャム双生児の様に融着した骸を見せる、と描写していたのですが、割と舞台版に近い風に変更されていました)。

「うらめしや伊右衛門殿」
そう言って、あの化粧で現れるお岩の姿は、さぞや怖がられた事でしょう。
しかし特殊メイクが広まった現代で、そのヴィジュアルだけに寄りかかって怖さを表現出来るとは到底思えませんでした。
歌舞伎好きな、高橋洋氏に「歌舞伎の四谷怪談は、どこが怖いのですか?」と訊ねたところ、観客席に仕込みの役者がいて、「鼠が出たー!」と騒ぐところがあると教えて貰いました。
舞台と客席の境界が崩れ、虚構が現実に浸食した怖さだと私は理解しました。

今回の脚色、四話目である「大詰め」では、テレビ番組で放送する怪談に相応しい、虚構が現実を浸食する感覚を描きたかった訳です。

「四谷怪談」という全くの虚構の怪談が、21世紀の現代にまで「祟る」という事象を引き起こし続けているその理由は、明快です。
それは、人が「祟る」事を望んでいるからです。


今回の脚色に着手し始めた頃、私が運転する車に、横からいきなりトラックが突っ込んできて、ほぼ全損になるという事故に遭いました。
正直に言えば、私は「やった! 祟られた!」と喜びました。
ホラー系専門の作家である私には、勲章の様なものです。「四谷怪談」で祟られたのだから、自慢だってします。
(この話を楳図かずおさんに話したら、素っ気なく『偶然でしょう』と一刀両断されましたけど。)

脚本が上がった後、東映アニメーションの関係者、監督、天野さんらと共に、於岩稲荷でお祓いを受けまして、幸いその後変な事は起きなかった様です。
私の財布の中には未だ、お札が入っています。

尚、祟りの歴史を書くに当たり、小池壮彦さんの著書「四谷怪談 祟りの正体」(学研)を大変参考にさせて戴きました(第三のお岩が存在した、という発見をした画期的な書です)。この場を借りて御礼申し上げます。

シナリオ (PDF版)

東海道四谷怪談 序の幕

東海道四谷怪談 二幕目

東海道四谷怪談 三幕目

東海道四谷怪談 大詰め