Introduction

 1997年7月20日、関西テレビ系で『学校の怪談f』が放送される。これは、1994年に1クールに渡って放送された、『学校の怪談』シリーズのスペシャル版である。

 1993年、私は弟である監督の小中和哉から、『ときめき時代』という関西ローカルの青春ドラマのシナリオを書かないかと誘われた。関西地方にて金曜夜7時から10年の長きに渡って、ずっと続いていた宝塚映像制作のドラマ枠である。
 この『ときめき時代』は、馬渕英里何のデビュウ作で、後に私は『学校の怪談f』『ねらわれた学園(TV版)』で再会する事になるのだが……。

 この10年続いたシリーズの最後の作品が、『学校の怪談』だった。ちょうどその頃、ポプラ社や講談社の児童向け怪談本が売れ出した頃であり、ホラー好きのプロデューサーは、最後の最後に、本当に自分がやりたかった事を実現したのだと後で聞いた。
 私はエピソードのラフな構成から入り、脚本としては『闇より囁くもの』『妖怪テケテケ』『絶叫ハイスクール』の3本を担当した。オリジナル・ビデオの世界で、本当に怖がらせる学校怪談というものは既に多くの作品を書いていた私は、和哉が監督という事もあり、“楽しいホラー”というものをやりたくなっていた。

 『妖怪テケテケ』は、和哉が「何か妖怪もの、やりたいね」と言った事から発想した。目指したものは、フレッド・デッカーやシェーン・ブラック的なネアカ・ホラー。また同時に、ウルQに於ける中島晴之助監督作(『育てよカメ』等)をも意識していたと思う。


“テケテケ”とは、1993〜4にかけて出版界でちょっとしたブームとなった『学校の怪談』本のいくつかで紹介されている、“花子さん”に次ぐキャラクター性の強い存在である。

 ドラマの中で“浅沼ちゃん”(これは学校怪談界の大御所、常光徹元教諭をモデルにしていた)が説明している通り、上半身もしくは下半身だけで走るというフリーク。老婆である場合が多い様だが、その出自が語られるケースは私が知る限り無かった。よって自由に設定する事が出来、老婆である事と、動物霊の集合体であるという私の(物語内での)解釈を反映させたもにした。
 本来のテケテケは、校庭を凄まじい速度で走る――というのが典型である。学校の廊下に現われるというのは私の創作だったが、後に作られた東宝映画『学校の怪談』での“テケテケ”もまた、廊下に登場しており、普通の妖怪になっていた。

 800万の予算でクリーチュアを製作する余裕は無い。この脚本を成立さす為、私は自分自身でクリーチュアを作る事を決意した。目論見としては、どうせ一瞬のものだからラフに、3日3万くらいで出来ると見込んでいたが、流石にこの手の作業から離れていた為、結局10万円、丸2週間掛かってしまった。私が作ったのは、1/3スケールの、ラテックス製可動(顎・両腕)モデルだったが、和哉自身もラフな1/1モデルを作成した。

 特撮物には全く不慣れなスタッフだった為撮影も時間が掛かり、結局3日オーバーで撮了したという。

 視聴率もビデオリサーチ13.5%、ニールセン14.0%と、この枠では異例な程に良かった。視聴者からのリアクションも良かった様で、上の絵は、局に送られてきた視聴者からの葉書。

 音楽押しのシーンには、私が選んだ曲が掛かる。ウィンガーというLAメタル・バンドの"Battle Stations"がそれであるが、これは私が敬愛する『ビル&テッドの地獄旅行』で、敵地に向かいながらロボットを作るシーンで掛かる曲であり、まさに適所に流れる。

 しばらくして、『学校の怪談』は抜粋された何本かがビデオで発売された。既成曲を使っていた『妖怪テケテケ』は、監督にも私にも無断で音楽を差し替えられてしまっており、我々としては、ビデオ版は認められないものになっている。

私がこのシリーズで書いた三本のシナリオをアップしました。PDF形式です。(2000/04/15)。
『学校の怪談(関テレ版)』シナリオ

監督/特殊造形     小中 和哉
脚本/クリーチュア製作 小中 千昭

出演:
東風平千香(後藤美姫) 辻本 貴則(田中 誠)
山崎 彰(井手啓人)  高岡 俊宏(中島憲武)
三木 賢治(千葉晃一) 柳川 昌和(浅沼恵司)

プロデューサー 西畠泰三
        三浦 紘

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