作業は1993年の暮れに行った。夏ならラテックスはすぐ乾くのだが、いかんせん寒い。友人の特殊メイク師・若狭新一氏に泣きつくと、赤外線ランプを使用する事を教わる。この作業をしている間、私の部屋は24時間、パネル・ヒーターと赤外線ランプが点灯する、常磐ハワイアンセンター状態であった。
口を開閉させるギミックを仕込むには、インナー・コアが必要である。ラテックスの厚みの分を粘土で塗り込み、その上から樹脂を幾重も塗りつける作業。

私ははっきり言ってこの作業が大きらいだ。今回も極力避けるべく色々思案したが、代案が見つからずに仕方なく行った。

ガラス繊維が飛び散ってチクチクするわ、有機溶剤の揮発臭が部屋に篭もるわ、紙ヤスリの粉でむせるわ。

で、部屋は無惨な状態に陥るわけである。

もうこの頃には、当初の日数をオーバーするばかりか、先の見えない状態に突入しており、始めてしまった事を激しく後悔している頃である。